Oh!,Delphi!。
Turbo Pascal のプログラムはそのままDelphiで走らせることができるという話がありました。
本当かどうか確認しないまま終わってしまいましたが、
MS-DOSでの、キャラクタ・ベースでの80*20(25)行の画面と、
Windowsでの画面表示方法の違いを、
良く理解して消化するということが出来なかったという事情もあって、
結局は、早々に「挫折」してしまっていました。
「先取の気概」を喪っていたとは思いませんでしたが、
やはり、従前よりの姿勢から抜け出せなかったという守旧性に取り憑かれたということでしょうか。
今から考えると、つまらないことに躓いてしまっていました。
近年は、Java、Python、VisualBasic、Ruby・・・といった言語の解説本を読みあさったり、
C言語に先祖帰りをしてみようかと、いろいろ「摘み食い」をしていたのですが、
いざ、自分でプログラムを作成しようと踏み切ろうとすると、
どれだけの作業量になるんだ?と、
すっかり「へたって」しまっていました。
やっかいなことに、
TBasicに出会って、やっとここが安住の地になろうかと、なって欲しいとの期待が高まったのですが、
この時点で、なお、かつての自分の「守旧性」が頭を持ち上げたのでした。
「Basicプログラミングといえば、Locate文だろうが!
Locate文なくして、確実なデータ入力ができるんかい?
これでは使えそうもないやんかぁ!」
MS-DOS上でのプログラミング技法と、Windos上でのそれと、
違ってきていて当然とは考えることができなかったのでした。
自分のこの「守旧性」を如何に「克服」できたかは、
後日に反省を込めて述べていきたいとは思いますが、
過去を通じて修得し得た技能にトコトンこだわって、あるいはささやかな「成功体験」に固執して、
新たな世界になかなか踏み出せないというのは職人暮らしの習性(悪癖?)とも言えますが、
私もそのうちの一人でしかなかったということであります。
プログラミングというのは、
単に技術・技能のテクニックに終始するものではなくて、
実は、その根底には「思想問題」が横たわっているということなのでしょう。
プログラミング言語の体系というのは、やはり、1個の思想体系でもあると見ないといけない。
自分を省みれば、ある種の「革命体験」をくぐったと、言えそうです。
(ちょっと、大仰に過ぎる言い方で笑われそうです)